コンセプト
RX組の考え方 はじまり
私が青森の老人保健施設に勤務していた頃、担当の寝たきりのおばあさんの夢は、故郷愛媛にあるご主人のお墓参りでした。
リュウマチで何をしても「痛い、痛い」の連発でこんな状態で行けるわけもなく諦めるだろうと思っていましたが、どうしても行きたいと私に食い下がり、その思いにほだされ、二人での試行錯誤が始まりました。

なんとか痛みを感じないよう介助を工夫し、日常の道具を自分で使えるようにし、なんとかトイレで用を足し、普通のお風呂にも入れ、食べたいものを食べていくうちに少しずつ元気になっていきました。
お互いの気持ちが通じ合うようになると、かける言葉も夢を叶えるためのものに変わっていきました。お墓参りの夢は叶うかも、と思ったところでこれは一利用者さんに対するえこひいきだと・・・。
※詳しくは私の著書「力愛不二」で。
結局、夢を叶えてあげることができなった心残りと深い後悔が、今も私を突き動かしています。
夢を語らせることもなく、「痛い」しか言わせなかったのはこちらの対応のせいだったのです。私はその方から、お年寄りの心残りや願いを聞き、それを叶えるために日々自分たちがどう動くべきなのかを学ぶことができました。
今までの介護は、つい過剰な世話をし、できることも奪い、その方の動きたいようには動かさず、閉じ込めがちでした。心身ともにさらに不健康にしてしまう悪循環に陥っていました。
できるだけその人らしい暮らしを続けて、外に出て太陽を浴び、人と交流し、土に触れ、人としての当たり前の暮らしをどうサポートするかが今後のカギになってくると思います。
閉じ込め管理するための費用と労力と、元気に生ききってもらうための費用と労力と、どちらに重きを置くのが健全な社会と言えるのか、今一度立ち止まって、福祉全体の構造を変えるときが来ていると思います。
