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今年の桜

2016年4月12日




今年のお花見はいかがでしたか・


わりと長持ちしたように思いますね。


ものすごい雨が降ってどれだけ散ったかと思いましたが


けっこう散らずに持ってくれた今年の桜。


それにしても京都は外国人だらけでした


日本人はどこでお花見したんだろうか?


ほんとに近所にさりげなく咲いてる桜で十分かも。


そうこうしてるうちに春は駆け足で去り、


緑の季節があっというまに追いかけてきたようです。




毎年この時期の楽しみ。


どうだんつつじの白の花。


この花に、いつも元気づけられる。


桜は散っても、次は命華やぐ緑の季節が来ますよ!

青々と繁るこのきらめきの季節に、真っ白なシャツ着て

風を感じて歩いていきましょ!って背中押される感じ







 

津軽富士・岩木山

2016年3月16日



青森・弘前にそびえる岩木山。

どっしりしていて、安心して甘えられる気がするカタチ。

出稼ぎに出た人たちが、故郷に帰ってこの景色を見た途端

「お帰り、ご苦労さま」と言ってもらえたようで、ほっとしたんだろうなと。

景色というより、一つの人格を持っているような気がします。


この山が見える青森の老健、幸陽荘さんでのナイトセミナーと一日セミナー。



モデルは、青山の青森時代の同僚、ダイスケ。

今、昔いた施設の介護長になっているそうで、驚きました。




幸陽荘ナイトセミナー始まって以来の40人という大人数だったため、

基本実技と入浴実技に分かれ、デイのホールと浴室で2班で行いました。



お風呂の先生は、幸陽荘、田中と小笠原です

今回の参加者は、青森、大間、秋田大館、山形など北東北の皆さんがずらり。

津軽訛り、なまり放題surprise



翌日の一日セミナーもいつにもないにぎわいぶり

田中、乗りきれてないミッフィポーズ目の前のむっちり君がまさかの?



モデルは田中。


モデル田中。押しているのも田中

宮古の田中が元いた施設で、介護職になった田中の弟君が、仲間を連れて初参加。

ミッフィ―をぎこちなくやっていた相手が弟君だったので乗りきれなかった田中。


やりにくいですよね、弟が相手じゃね
 

田中(兄)が痩せて見えるうぅ




今回青森には、このお方も同行。

弘前城前のスタバを見学です



中もとってもステキでした

そしてこのお方も青森に合流されました。





待ち受けにいかがですか 福が訪れるかも


どこへ行っても大人気。


もしかしてこれって着ぐるみ着たゆるきゃらなのでは?




大鰐のわにもっこさんへ打ち合わせに行ってきたワタクシ、Iマネ。

ヒバのお風呂?と思いきや



お風呂のミニチュア~~


と思いきや




ティッシュボックス~~~

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あの日から5年

2016年3月11日



岩手県宮古市の震災後の写真。瓦礫の間を歩く青年。

今は、青森弘前にいる田中くんが撮って送ってくれた写真です。

田中くんはその日、明けで家に居たときに震災に遭いました。

津波に足元をさらわれそうになりながら、1人のおばあさんを助け、

波が引いてから、避難所までお連れしたということです。




この生き地獄のような風景を、私たちは決して忘れることはできません。

自然は時として私たちを木の葉のような存在に陥れます。

私たちは自然の一部として、それもまた受け入れなければならない。

命に限りがあり、天寿だけでは決められない運命。

生きているというこの一瞬のすぐ背にはいつも死がある。



震災から4か月後、7月に行ったとき、陸前高田で撮った一枚です。

何万本という松林の中で残った一本松。

命は奇蹟です。







だから長生きを幸運にも手に入れることができたお年寄りには

長生きを思いっきり享受していただきたい。



介護職員の当然とも言うべき努力によって、お年寄りはこんなにも至福のときを過ごせる。

この2枚の写真は、昨年浴室の改修を経て、ついに全員を個浴に入っていただくことができた

愛媛県西予市の寿楽苑さんの入浴風景です。

寿楽苑亀岡さんからのメールを掲載いたします。(ご本人の許可をいただきました)

 
青山さんが帰られた翌日に、その最後の2名も國宇君(入浴委員長のスタッフ)が頑張って、個浴で入っていただくことが出来ました。
本当に、自分自身も全員個浴への道は、遥か先のように思っていましたが、こんなに早く特浴の方が全員個浴に入られるとは思っていなかったので、この時は大いに褒めてあげました。
それと同時に、國宇君たちを、羨ましいな~と思ってしまいました。
 
寿楽苑さんはトイレの改修も終わり、みなさん、どんどんトイレに行っておられるようです。



震災の日に、少しでもこうしてお年寄りの幸せそうな暮らしの姿を見ると

ホッとします。

生きているなら、とことん幸せに生きよう!

せっかくの命です。

せっかくの今日と言う日。

明日、明後日は、宮古から弘前に来ている田中くんがいる施設、幸陽荘さんで

セミナーです。

生きているお年寄りをとことん幸せにしたい。

KOKORO JAPAN が日本全国に広がっていきます!

 

KOKORO JAPAN

2016年3月8日



KOKORO JAPAN 『よさこい』 踊りから スタート!

楽しく学ぼうを合言葉に、劇、ミニ映画で、3つの施設が

これまでの取り組みを伝えました。




2月に入っての情報公開だったにも関わらず、

発表関係者も含め、70人ほどの参加者がお集まりくださいました。

介護の未来を憂えるココロをみんながしっかり持ち寄ってくれたこと

ほんとにうれしく思います。

そして、介護は人を救えることをきちんと伝えてくれた3つ。






確かな介護技術を見せてくれた 愛知、千両(ちぎり)荘。




母娘の絆をもう一度、つなぎ合わせた京丹波・ひだまりの日常。



武さんの愛で伊吹山登頂を体験できた愛知すずの郷の2人。





RX東日本で作られたよさこい踊り、わざわざ踊りに来てくれた千葉、横芝光町のデイ一休の

中澤さんと浅野さん。一緒に踊ってくれた京都・介護・勉強会 KKBの若手メンバー。

こうしていろんな人が、KOKORO JAPAN という 何がなんだかまだ不透明だけど

一筋の希望の光を灯していくかもしれないココロの介護を伝え、広めたいと言う熱い思い。



たった3人の実行委員。 左から 有馬、稲葉、本多の3人。


特に右端の千葉の本多さんが突然言い出した『世界へ行こう』の一言。


『世界』を目指すことが何を意味するか、まったくぴんとこなかった私たち。


繰り返し繰り返し話していく中で、だんだん、自分たちがやってきたことを、もっとしっかり

広めていかなくてはならない使命に気付き始めたのです。

今までも本気で取り組んできましたが、社会全体が、

年を取っても、マヒが残っても、少々ボケボケになっても

とことん生ききる。楽しんで生ききる。やれること最後までやる。

楽しみもやりがいも残ってる力も決して奪わない。やり続けてもらう。

年を取るのが楽しみな社会を作りたい。ただただ、それだけ。



どこまで伝えられたか、自信がないのですが、

もっともっとわかりやすく、ズっキューンと心に響く

KOKORO JAPAN を作り上げていきたいと 実行委員会一同

考えています。

次回、横浜プレ大会は5月1日(日)ランドマークタワーで18時~です!






 

一転、真冬(@_@;)

2016年3月1日




春の暖かさに騙されて、昨日は薄着ででかけて、帰り大変な目に


遭われた方、たっくさんいたのではないでしょうか。


朝方、雨だし、あったかいのかな~と春コート着て出た私の


帰り路の凍えようといったらありませんでした


そして今朝の雪




三重に向かった青山は、途中高速道路が雪のため、通行止めで

お約束の時間に間に合わないかもと、ドキドキで進んだようで

なんとか間に合ったようです。天気予報、まったく見ていなかった私。

申し訳ないです

午後からもちらちらと雪が舞い、めっちゃくちゃ寒いです




猫は屋根から屋根へ、自由に遊びまわっています


インフルエンザに要注意です

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